育児:言い回し一つで魔法のように坊やは変わるのかもしれない。「坊やの心の芽」

わたくしは、手に負えない問題児を秘めると思っていた。そう、あの日までは・・・
ふたりの娘がいるが、姉の人間は誠実で優しくて思いやりがある反面、批判をすれば癇癪をはじき出す、言及使いは悪い、たたく、蹴る。おや、既に何とも問題児です!「取り除ける」とまで思った時もあった。いじめをしてしまいそうな自分が怖かった。しかしある日何だか、相性の悪いはずのわたくしに塾の家路、花を摘んできてくれたのだった。「とにかく昼前、怒ったからそれのご機嫌受けとりだろう」と初めは至って感じなかった。でもはっとしたのは、ゼロウィークも続いた辺りだった。「ひょっとしたらこの子は、喜ぶと思って摘んでくれているんじゃないか」と。それからわたくしは悩んだ。考えた。面会した。しかし、彼の仕打ちは貫く。
考えた契約、ともかく「有難う」「あなたの振る舞い隠れ家よ」「含み笑いが良いね」「あなたがいて受け取ると室内が最高潮で奥様は好ましいわ」こういう4つの意見がけをしてみた。すると、ちっとも魔力が解けたように「奥様、一緒に夕御飯作ろう」という耳を憂うような言及がゼロウィークで彼から出てきたのだった。「はい!できるの?楽しい」私も素直に喜んだ顔つきをしていただろう。二人で自家製ピザを作った。サクランボの元をガーデンに植えた。一日でこういう2つをしただけです。それからあれよあれよという間に、娘はわたくしに「抱っこして」「一緒に遊ぼう」「一緒にお風呂に入ろう」と要求してきたのだった。私のほうもできる限り、忙しないながらも暇を取り、その需要に応えるように努めた。ちびっこの心は純粋無垢だったのだ。お花がフェチ、お絵かきがフェチ、工作がフェチ・・・何をわたくしは見てきたのだろう。意地悪、天の邪鬼、誠実ではない、言うことを素直にはきかない、言及が小さい。どれもこれも、こういう父兄です唯一の分別や乳幼児にとって基地ですべき女性のわたくしが勝手に貼り付けた表示です。そうして「とにかく言っても聞き流すから放っておこう」という放任へとつながったのだ。いつしか、姉が育て易いからといって、比べていたのだ。そして問題児だと悩んでいたのだった。よくよく掘り起こせば、わたくしから始まった振る舞いだったのだ。それに気づいて愕然とし、意外と娘に申し訳なく、土下座しよムードになった。あの塾帰りの花摘みのキャンペーンがなければ気付かなかったし、意見もしなかっただろう。ちびっこは芽です。きちんと日に当たっていないと日を当ててくれている人間に、傾いて出向く。きちん光合成をやる方は、つまり情愛を受けている方は優しさを覚え、他の身近や身寄りに優しさという花を咲かせることができる。うちにも花が咲いてほしい。ちびっこにも花が咲く気持のよさを知って下さい。花が綺麗で、嫌いな自分がいないのは、それは見ているだけで内面が和んだり、暗い気分がすぐさま晴れたりするからだろう。女房の日にもらったではないか。かわいい眩しい花束を。ちっちゃなちっちゃなサクランボの元を二人でシャベルで盲点を掘って「芽が出ると嬉しいねえ」と言って植えることを教えてもらったではないか。大人のわたくしは心中で「とにかく芽なんかでないんだろうなあ。この子、がっかりするだろうなあ」と思いながら・・・むかし芽が育ち、花が咲くだろう。サクランボの元からも芽が出て花が咲くことを自分は親馬鹿だと笑うかもしれないが、心の底から願ってやまない。そこまでわたくしはいつしか娘を問題児とは思わなくなったのだ。芽はつまむのではない。花を咲かせるための工夫シチュエーションです。花が咲くまで必ず目を背けることなく、光を当てていきたい。如何なる花であろうと済む。娘がサクランボの元から咲く花をむかえるように、私も待とう。